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すごく病んでいた時からの立ち直り方法

お題「気分転換」





悪口を言う人には幸せが来ません

なんて、ちょっとしたスピリチュアルなこというようですが。

 

最近、すごく病んでいました。

 

子育てで毎日余裕なく生活していて、「あぁ、もう一日が終わった・・・・」なんて言う日が続いて、こんなご時世だから、人と会うこともなくなり、毎日気の合わない義理の両親と会話するくらいでした。正確に言うと、義理の両親とは事務連絡しかしないので、会話とは言わないレベルです。

 

人と話すことが好きな性格なので、話ができないとなると、毎日孤独を感じていて、SNSをずっと徘徊していました。

 

テレビをみていて、「あんな詐欺なんて絶対ひっかからない」と思っていても、いざ、狭い世界に生活していると、SNSの中の人たちが輝いて見えて、詐欺まがいのことを言っていることも本当にそうなのかもしれない、そうした方がいいのかもしれない、それって必要なことなのかもしれない・・・・・そんな思考になっていき、そして、普段の自分ならありえないとわかっていても、例えば、「3日で10キロ痩せます!サプリメント!今なら半額!!」とかが欲しくなって買ってしまうのです。実際はサプリメントではないのですが、そんなに効果のない商品を買ってしまいました。

 

実際使ってみると、大したことない、なんなら、詐欺まがいの商品だったりして、本当に何やってるんだか・・・みたいに陥っています。

 

人と話したり、関わることがなくなると、なんとなく眺めているSNSの情報が常に入ってくる情報になり、いつも見ているアカウントの人が身近な人のように感じられて、親近感がわき、「あの人のいうことならほんとうかな」なんて思ったり。

 

今は冷静に「いやいや、あり得ないだろう」と思うことができるのですが、狭い世界で、余裕のない生活をしていると、こんなことが起きてしまうんだなぁと思いました。

 

そして、すごい不安症になっていました。

 

子どもがとてもかわいいのですがかわいいのですが、毎日一緒にいれば、ほんと怒りたくなることもたくさんあって、イライラすることもあって。

会話にならない相手なんです。

「いやー」

ってずっと叫んで、走り回ったり大泣きしたり・・・・

それって成長の過程では必要なことなんでしょうが、本当にこちらとしてはしんどすぎてもう、つらい。の一言しか出ないときもあります。

そんな日々に、個性強めの義理の両親が敷地内同居して、空気読めなくずかずかされると本当にもう爆発しそうでした。

何回かぼーっとして、意識なく、ただ頭を抱えて「助けてー」となったことがあります。

旦那さんは、私の愚痴を聞くのが嫌だと言って、義理の両親の話なんてすれば「俺の親を悪く言うな」しか言わないので、基本的に話し相手にはなりませんし、私の話を聞くということはしません。いつもスマホいじって「ふーん」しか言いません。

 

 

義理の両親が孫が可愛いきりで、一緒に子育てなんてするわけないんだから、だれも、私の話なんて聞いてくれない。

そんな日々でした。

そして、誰かに何かを話したいとも思わなくなりました。

大好きだった地区のサークルも中止。支援センターはいけなくなり、保育園は休園。

 

孤独でいっぱいでした。

 

もともと人と話すのが好きだったこともあり、誰かと話がしたい。

 

 

誰でもいいから、私のこのつらさを分かち合ってくれる何かが欲しい。分かち合いたい。そんな感情にかられ、ひたすらSNSを徘徊していました。

 

精神的に追い詰めらるってこういうことなんだなって思いました。

 

末の子が喘息って診断されて、まだ小さいから発作になりそうになるたびに、病院行って治療して、何時間も待たされて、上の子が嫌になり、大泣きして、二人抱っこしながら帰ってくる。

義理の両親が「こどもがかわいそうでならない」という話を延々とされる。

もう本当におかしくなりかけた日もありました。

 

 

 

 

それでも、転機はあるもので、

 

春になって、ちょっとあったかい日が続くだけでも心がスッと洗われる。

いつもより呼吸ができる日がある。

 

あれは、詐欺商品だったな、また言ってるよ、ってSNSの宣伝も受け流せる。

 

こどもに大きい声を出す回数が減る。

 

別になにかきっかけがあったとすれば、たぶん春になったからだと思います。

 

春になって、暖かい日が増えて、少しずつ外に出られるようになって、人に会わなくても、散歩できるようになって、下の子の発作の回数が減って、こうやってパソコンを開こうっていう気持ちになって、何かの歯車が回り始めると、何かが動き出すような気がして、大きなきっかけがあるわけではないのですが、これといった何かを提案できればいいのですが、何もないのです。

 

何もないけど、自分のなかで何か変わろうとしているのなら、それに乗っかってみるのもいいのではないでしょうか。

思うがままに進むというのは、不安ですが、進めなくはないということです。