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すごく病んでいた時からの立ち直り方法

お題「気分転換」





悪口を言う人には幸せが来ません

なんて、ちょっとしたスピリチュアルなこというようですが。

 

最近、すごく病んでいました。

 

子育てで毎日余裕なく生活していて、「あぁ、もう一日が終わった・・・・」なんて言う日が続いて、こんなご時世だから、人と会うこともなくなり、毎日気の合わない義理の両親と会話するくらいでした。正確に言うと、義理の両親とは事務連絡しかしないので、会話とは言わないレベルです。

 

人と話すことが好きな性格なので、話ができないとなると、毎日孤独を感じていて、SNSをずっと徘徊していました。

 

テレビをみていて、「あんな詐欺なんて絶対ひっかからない」と思っていても、いざ、狭い世界に生活していると、SNSの中の人たちが輝いて見えて、詐欺まがいのことを言っていることも本当にそうなのかもしれない、そうした方がいいのかもしれない、それって必要なことなのかもしれない・・・・・そんな思考になっていき、そして、普段の自分ならありえないとわかっていても、例えば、「3日で10キロ痩せます!サプリメント!今なら半額!!」とかが欲しくなって買ってしまうのです。実際はサプリメントではないのですが、そんなに効果のない商品を買ってしまいました。

 

実際使ってみると、大したことない、なんなら、詐欺まがいの商品だったりして、本当に何やってるんだか・・・みたいに陥っています。

 

人と話したり、関わることがなくなると、なんとなく眺めているSNSの情報が常に入ってくる情報になり、いつも見ているアカウントの人が身近な人のように感じられて、親近感がわき、「あの人のいうことならほんとうかな」なんて思ったり。

 

今は冷静に「いやいや、あり得ないだろう」と思うことができるのですが、狭い世界で、余裕のない生活をしていると、こんなことが起きてしまうんだなぁと思いました。

 

そして、すごい不安症になっていました。

 

子どもがとてもかわいいのですがかわいいのですが、毎日一緒にいれば、ほんと怒りたくなることもたくさんあって、イライラすることもあって。

会話にならない相手なんです。

「いやー」

ってずっと叫んで、走り回ったり大泣きしたり・・・・

それって成長の過程では必要なことなんでしょうが、本当にこちらとしてはしんどすぎてもう、つらい。の一言しか出ないときもあります。

そんな日々に、個性強めの義理の両親が敷地内同居して、空気読めなくずかずかされると本当にもう爆発しそうでした。

何回かぼーっとして、意識なく、ただ頭を抱えて「助けてー」となったことがあります。

旦那さんは、私の愚痴を聞くのが嫌だと言って、義理の両親の話なんてすれば「俺の親を悪く言うな」しか言わないので、基本的に話し相手にはなりませんし、私の話を聞くということはしません。いつもスマホいじって「ふーん」しか言いません。

 

 

義理の両親が孫が可愛いきりで、一緒に子育てなんてするわけないんだから、だれも、私の話なんて聞いてくれない。

そんな日々でした。

そして、誰かに何かを話したいとも思わなくなりました。

大好きだった地区のサークルも中止。支援センターはいけなくなり、保育園は休園。

 

孤独でいっぱいでした。

 

もともと人と話すのが好きだったこともあり、誰かと話がしたい。

 

 

誰でもいいから、私のこのつらさを分かち合ってくれる何かが欲しい。分かち合いたい。そんな感情にかられ、ひたすらSNSを徘徊していました。

 

精神的に追い詰めらるってこういうことなんだなって思いました。

 

末の子が喘息って診断されて、まだ小さいから発作になりそうになるたびに、病院行って治療して、何時間も待たされて、上の子が嫌になり、大泣きして、二人抱っこしながら帰ってくる。

義理の両親が「こどもがかわいそうでならない」という話を延々とされる。

もう本当におかしくなりかけた日もありました。

 

 

 

 

それでも、転機はあるもので、

 

春になって、ちょっとあったかい日が続くだけでも心がスッと洗われる。

いつもより呼吸ができる日がある。

 

あれは、詐欺商品だったな、また言ってるよ、ってSNSの宣伝も受け流せる。

 

こどもに大きい声を出す回数が減る。

 

別になにかきっかけがあったとすれば、たぶん春になったからだと思います。

 

春になって、暖かい日が増えて、少しずつ外に出られるようになって、人に会わなくても、散歩できるようになって、下の子の発作の回数が減って、こうやってパソコンを開こうっていう気持ちになって、何かの歯車が回り始めると、何かが動き出すような気がして、大きなきっかけがあるわけではないのですが、これといった何かを提案できればいいのですが、何もないのです。

 

何もないけど、自分のなかで何か変わろうとしているのなら、それに乗っかってみるのもいいのではないでしょうか。

思うがままに進むというのは、不安ですが、進めなくはないということです。

 

今年は秋があったのだろうかと思うくらい急に冬が来た気がします。

今週のお題「読書の秋」

 

私は読書がとても好きです。

 

いつから好きなのかと考えたのですが、たぶん物心ついたころから好きで、本を読んでいる時間が楽しかったのだと思っていました。

 

私には、3人のこどもがいて、0歳、2歳、4歳といますが、毎晩寝る前には本を読んであげるようにしています。

 

「もう一回!!」「もう一回!!」

読み終わるたびに2歳の子はおんなじ本を何度も読み、そして、喜んでいます。

わたしも小さいころそのような記憶が一番古いものにあります。

さいころ母親が必ず寝る前に本を読んでくれました。わたしは4人兄弟の一番上で、いつも母親は小さい妹や弟の世話をしていて、かまってくれることはほとんどなかったように思います。布団に入り、母親が読んでくれる本は、決して、隣でわたしのためだけに読んでくれるものではないですし、自分がすきな本かどうかというと、そうでもなかったのですが、毎晩本を読んでいくれたということは覚えていて、それがうれしい楽しい記憶だったのだと思います。

 

なので、こどもたちにも本をできる限り毎晩読んであげたいと思っています。

 

わたしは、小学校にあがると、ますます本を読むようになりました。

小学校は正直いい思い出がありません。なのに、記憶としてたくさんのことが思い出されます。

小学校低学年の時にはわたしはクラスの女子からいじめられていて、クラスで話し合いをするレベルまでになっていました。

その話し合いがどうとかこうとかはあまり覚えていません。

話し合いをしても友達ができたかというと結局何もかわらなかったように感じます。

 

小学校の3年生にあがると、同じ階に図書館があったので、私はよく休み時間や昼休みの短時間ですら図書館に行くようになりました。

図書館の先生も変わり、私は図書館の先生が大好きでした。

たくさん話をしたように思います。そして、たくさん本を紹介してもらいました。

今でも覚えているは、

「不思議な木の実の料理法」

という本があった気がします。

「わかったさん」「こまったさん」シリーズもたくさん読んだ気がします。

 

料理の本もたくさん読んで、レシピをノートに書き写したりもしました。

 

 

放課後は遊ぶ友達もいなかったので、まっすぐうちに帰ってきて、本を読んで過ごしたり、祖父母とお話をして過ごした記憶があります。

ゲームで遊ぶこともなかったし、買い物にも連れて行ってもらった記憶があまりありません。

小学校の図書館は私にとって、情報の宝庫であり、ともだちであり、たくさんの話し相手だったと思います。

先生が変わってしまって、6年生になったときには、また図書館があまり好きではなくなってしまったように思います。

中学生になると、あんなに好きだった読書をほとんどすることがなくなり、なにをしていたのか記憶にありません。ただ、ただ、学校が楽しくなくて、通うのがつらかったその思い出になってしまいました。

 

図書館が大好きだったのは、小学生の時だけのように思います。

むしろ、小学生の時には楽しかったことは図書館の記憶しかありません。

 

 

社会人になった今も、たくさんの本を読みます。

しかし、小説やものがたりの本はめっぽう読まなくなり、ビジネス書や専門書が多くて、「知識をつけるもの」という位置づけになってしまっています。

 

ただ、無性に「知識」を欲するときがあって、本が読みたい、なにか、自分の中に新しい情報を入れたいと思うことがあります。

そんな時は、インターネットのニュースやサイトではなく、「本」がいいのです。

「本」からしか受け取ることができない、「何か」を欲して無性に本が読みたくなります。

インターネットの普及で検索すれば、いくらでも最新の情報が出てきて、むしろ、本は最新の情報とはいいがたいくらいの、ネットのまとめくらいの位置づけにすらなってきてしまっているのに、それでも、私は「本」を買って知識を身に着けることに執着してしまうことが多々あります。

 

シンプルな部屋やすっきり片づける部屋がはやっている時代に、本棚からこぼれ落ちるくらいたくさんの本を買い込み、読み漁るその生活スタイルがやめられないのです。

 

たまに読み返したりするし、内容をほぼ覚えている本もあるし、元気が出ないときに読む本もあります。

 

寒さに負けてこたつから出られない

今週のお題「鍋」

 

 

こんにちは。

久々の投稿になってしまいました。

 

最近、今はやりの宅トレをしていたのですが、体重は思いのほか落ちません。

しかし、少し体が締まってきた?という感覚があり、体重が落ちなくても頑張ろうと思えるから、不思議です。

 

宅トレはとにかく継続!!!

 

2、3日やったくらいじゃほぼ変化なしですが、3カ月くらいやったら、少し変化がわかるようになります。

 

最近、寒くなってきてこたつから出ることができなくなりました。

宅トレも少し、さぼり気味・・・・

 

鍋の季節です。

 

私は、鍋にはたくさんの野菜をいれてとにかくおなかを満たします。

白菜、大根はボウル一杯入れるし、きのこ類もたくさん入れます。

シメのご飯や、麺類は極力食べないように気を付けています。

おなかのなかからあったまるから、冬は週に2日くらいのペースで鍋にします。

 

年に一度か、二度は、もつ鍋が食べたくなります。

牛もつが大好きで、テカテカになりながら食べ、さらにしめはラーメン派です。

 

もう本当に大好きで、子どもが生まれる前は旦那さんとゆっくりふたりで食べれたので、今でもたまに思い出すくらいおいしかったです。

子どもが生まれてから、夕ご飯を食べた記憶があいまいになり始めたので、鍋は水炊きが寄せ鍋ばかりになっています。

子どもが濃い味付けが食べられるようになったら、また食べたいなぁと思います。

 

 

寒くて子どもたちがお昼寝している間に、掃除とかいろいろするんですが、もうやる気なくて、こたつで丸くなっています。

冬はまだまだこれからなのに・・・・

 

年々寒さに弱くなってきました。

 

少し宅トレしようかなぁ。

でもやっぱり寒い・・・・

今年は成長できる一年になるかと思ったけれども・・・・

今週のお題「2020年上半期」

 

 

こんにちは。

 

 

あっという間に感じた上半期でしたが、いろいろあって外出することがほとんどなくおわってしまいましたね。

 

私は今年の1月に交通事故にあい、示談交渉中です。

 

 

まさか、交通事故にあうなんて、思ってもみなかったし、今年始まって早々で、本当に交通事故で上半期は終わってしまいました。

 

通院生活、保険会社との交渉、弁護士さんとの話し合い・・・・

 

交通事故にあうなんて全く思ってもいませんでした。

 

生まれたばかりのかわいいわが子とごろごろしながら、毎日のんびり過ごすんだろうなと思っていた自分が懐かしいくらい、毎日が怒涛のように過ぎていきます。

 

上の子も、私が働いていないということで、保育園を退園し、二人を見ながら毎日あわただしく過ごしています。

 

交通事故に関しては、いろいろ学ぶこともあったので、示談交渉が終わったら、話せる範囲でブログを更新したいと思います。

 

 

誰かの役に立てばいいけれども・・・・

 

 

 

最近、上の子がおむすが外れました!!

 

上半期それが一番うれしかったことかも。

 

トイレトレーニングって大変かなって思っていたのですが、大変でしたが、それでも、すんなりと外れた方かなと思います。

 

もうすぐ3歳になるので、3歳前できてよかったです。

 

子育てって全然思い通りにならないですよね。

 

上の子はできなかったことが下の子はあっさりできたり、上の子ができたことが下の子はできなかったり。

 

おんなじ感じで育てればいいか、と思っても全然うまくいきません。

 

ひたすら、忍耐力と、根気強さが身についた気がします。

 

子どもの成長が楽しみでしょうがないって思えていられるのも幸せです。

 

一人目の時は、この時期産後鬱のピークで、いろいろなところに通院生活していましたから。

 

残りの育休生活をしっかり満喫して、仕事復帰にむけて頑張っていきたいと思います。

 

前半戦本当にいろいろあったー、でも、ここ最近で一番充実した年になりそうです!!

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

私のやり方で子育てしよう

こんにちは。

私には、娘がいます。

とてもかわいくて、とても大事に育てています。

 

娘が小さいころから、娘の刺激になるように、児童館にも連れて行ったり、ママ友とも仲良くしました。


ただ、娘は寝返りができませんでした。

娘はつかまり立ちもできませんでした。

娘はハイハイもうつぶせもできませんでした。

 

 

 

「なんで、できないんだろうね。」


周りにそう言われるのが嫌で、だんだん児童館にも自分の実家にも、義理の両親との関わる時間も減らしていきました。


「なんで、できないってそんなの、私も、娘も知らないわ。」


そう心の中で思っていました。


娘はお座りは生後半年にはできていましたので、よく座って本を読んだり、絵をかいたりして遊びました。
人形遊びやおままごともしました。

私は娘と二人っきりでいるのが好きでした。

 

 

周りは容赦なしに、私たちに言葉をかけてきます。


「1歳過ぎて歩かないの、やばくない?」
「まだ立てないの?」
「ハイハイもできないの?」

何度、傷つけられたかわかりません。


義理の両親に
「まだ立てない。」
「歩かない。」
「かわいそう。」


そう言われ続け、それ以外にも、義理の両親との付き合いに疲れて、ついに私は病んでしまい、心の相談室に通うことになりました。

 


そこで初めて、ぼろぼろと涙を流して話をしました。

「つらい。」

 

何度、のどまで出かけても誰にも言うことができなかった言葉。


旦那さんにも、実の両親にも、友達にも。


その一言を言ってしまえば、私自身が、娘がかわいそうな子で、寝返りもハイハイもできなくて、何にもできない子だって受け入れてしまうような気がして。


「娘はかわいそうな子じゃない。」


それが私の中でどうしても、譲れなかったというか、認めたくなかったのか、意地なのかわかりませんが、その一心で自分を奮い立たせていました。


ただ、不思議なもので、一度言葉にしてしまうと、あっという間に心が軽くなりました。

 

 

「お母さん。大丈夫よ。全然、おかしくないよ、娘ちゃん。」

ただ、そう言ってもらえただけで、心が軽くなって、

「そうだよね。生まれてから、生まれる前から私、ずっと娘と一緒にいるんだもん。娘、おかしくないよね。」


そう思えて

「大丈夫。」

そう言ってもらえたことが、自分の心のもやもやをスッと取り除いてくれました。


それから半年くらい心の相談室に通いました。

 

心無い言葉を言われたときには、

「娘はかわいそうな子じゃない。」

そう強く思い、娘と耐えよう、と思いました。

娘だって自分のことが悪く言われていることがわかるようで、二人で車の中で泣いた日もありました。

 

 

 

私は、そんな環境から抜け出したく、

「復職しよう。」

そう思い、保育園に歩けない1歳半の娘を入れる決意をしました。

 

 

「まだ、歩けないのに。かわいそう。」

案の定、言われました。


娘は当時、座ることができていたので、進みたい時には、おしりをついておしり歩きをしていました。


私の周りには誰もいなかったので、大変珍しい歩き方なのかもしれません。

 


「あんな歩き方で、かわいそう。」

それも言われ慣れました。

「あと何日で、保育園に行くんだよ。嫌だねー。」

そんなことも言われました。


もうこの頃には、私は前を向いていたので、傷ついても、立ち上がれました。

 

 


このままこの環境にいたら、私も娘も変われないし、このままダメになってしまう!!!!


とすら、思っていました。


保育園の事前面接で、娘が歩けないこと、少し変わった歩き方をすること、それを伝えました。

私は、なんて言われるかが怖くて怖くて仕方がありませんでした。

 

「あぁ、そうなんですね。じゃあ、ちょっと注意してみてますね。」

それだけでした。

「お母さん、大丈夫ですよ。」

そう言ってもらえました。


「保育園に来る子は、まだ歩けないで保育園来る子いますから。」

そう言って、それ以上、触れられませんでした。

 

 

保育園に行きだして、仕事が始まって、あっという間に一日が終わっていく生活になりました。


ある意味、余計なことを考えたり、気にする必要がなくなったので、すごく視界が開けました。
仕事はブランクがあるし、ついていくのにやっとで、嫌なことも、いいこともあり、けど、何を言われても耐え忍ぶという精神を身に着けたせいか、忍耐強くなったなぁと思うことが多々ありました。


娘ちゃんは、保育園に行きだして、1か月後、無事につかまり立ちをしました。


先生たちも、おしり歩きをしていても、外に連れ出してくれたり、娘だけを特別だっこするわけでもなく、ほかの子と同じように接してくれて、娘にはもしかしたら、つらいこともあったかもしれませんが、私にとっては感謝の一言です。

「今日はこうしたら、つかまり立ちをしましたよ。」
と、毎日、娘のためにいろいろな方法を考えて娘のやる気を引き出してくれて、報告してくれました。


私が迎えに行くと、
足こぎ自動車にまたがって、毎日毎日来る日も来る日も練習していました。


ほかの子たちと同じようにすすめるように頑張って練習して、


ある日、迎えに行くと、先生が大きな声で

「お母さーん。見てみて。」

慌てて行くと、上手に足でこいで、すすんでいる娘がいました。

びっくりすると同時にとてもうれしくなりました。

 

「すごいよねー。できるようになったね。」

 

あんなにいろいろできないって言われていた娘が一生懸命車をこいで進んでいました。

それから、1カ月もしたら、もう、すごいスピードで乗り回していて、

「すごい上手になったね。」

そう言いました。

 


一人で立ったのは2歳の誕生日の一週間前でした。


初めて2、3歩出たのは、2歳の誕生日過ぎでした。


保育園の先生たちに言うと、

「すごいねー。」

そう言って、みんな喜んでくれました。


「よかったねー。」


たくさんの人に言ってもらえました。


一番よろこんでくれたのは、

一番最初に保育園に入ったとき、娘の入園のために、新たに来てくれた先生でした。


学年が上がり、先生とは違うクラスになってしまって、

帰りに、

「先生、ちょっと見てください。」

そう私が声をかけて、

「娘ちゃん、先生のところ行ってごらん。」

そういうと、2、3歩進みました。


「娘ちゃん、歩けるようになったの?」


そう言って、顔を覆って、


「よかったね、よかったね。」

ボロボロ泣いてくれました。


私も泣いてしまいました。

 

それから、休みのたびに公園に連れていき、手をつないでたくさんたくさん歩きました。

転びそうになったり、転んだり、それでも手をつないでたくさん歩きました。

保育園でも、先生やお友達と手をつないでたくさん歩きました。

2歳2カ月になると、もう、一人でどんどん歩けるようになりました。


最初は1メートルが10メートルになり、もうどこまでも・・・・・・


「最初は歩けなかったのに、すごいね。すごいね。」

「あっという間に歩けるようになったね。」

そう言って、たくさんたくさん娘は肯定されて、ほめてもらって、たくさんたくさん経験を積んで、無事歩けるようになりました。

 


ジャンプしたり、階段のぼったり、降りたりまだまだこれから課題はたくさんあります。

 

でも、ちょっとずうできるようになっていきました。

 

 

娘も、私も、追い込まれすぎて、たくさんの人と関われたこと、そして何より、肯定的な声をかけてもらえたことが一番ありがたかったし、助かりました。


保育士さんってすごいなぁ、それに尽きます。

子育てって、すごく狭い人間関係になりがちですが、もし、苦しいくらい生きづらい時には、地域に頼ってみるのもありだと思います。

 

大丈夫です。

 

家族以外にも真剣にお母さんと、お子さんと向き合ってくれる、助けてくれる人がたくさんいますから。

 

地域に頼れないと悩んでいる方にそう私は教えてあげたいです。

 

保育園に行くことで、娘は歩けるようになりました。
感謝しかありません。

保育園に入れた方がいいと言っているのでもありません。
娘には下の子が生まれたので保育園は退園しています。

保育園だからできるとか、お母さんだからできないとか、できるとかそういう細かいことでなくて、


自分が自分らしい育児をしていくことが一番大事だと思います。


私は周りの意見を気にしすぎて、病んでしまいましたが、立ち直ることができました。


あの時、

「お母さん、大丈夫よ。」

どういってもらえてどれだけ救われたか。

 

 

保育園に入っても、
一緒に考えて、一緒になって、私の意見も尊重しつつ、娘の成長も促してくれるそんな先生に出会えたことは本当に感謝しかありません。

娘が保育園を退園する日

 


「お母さん、私ね、娘ちゃんが入ってくることになったから、この保育園に急遽入ることになったの。一回、引退したんだけどね。

 

本当に娘ちゃんに出会えてよかったよ。ありがとう。元気でね。また保育園で待ってるね。」

 

一番最初に娘を見てくれた先生がそう言って、娘にハイタッチしていました。

 


出会えてよかった、なんて言ってくれる人に、私たちは人生でどれくらいの人数出会うことがあるのでしょうか。


娘は、2歳でそんな素晴らしい経験をしていました。

 

 


私は私のやり方で子育てしよう。

 

そう思い、日々いろいろなものから自分を奮い立たせながら頑張っています。

 


最後まで読んでいただきありがとうございました。

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て

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by オリックスグループ

一日一粒

今週のお題「私の好きなアイス」

 

 

こんにちは。

 

 

 

最近の私の日課は、一日一粒ピノを食べることです。

 

2歳と0歳が同時に泣いたとき、2歳の「トイレ行く!!」と0歳が寝返りをして戻れなくなって大泣きするのが被ったとき、夕飯の準備が一向に進まないとき・・・

 

 

私は心のバロメーターがマイナスに転落しそうになると、一粒食べるようにしています。

もちろん、隠れて!!!!

 

 

 

人間毎日生活していれば、いいことばかりじゃありません。

 

こどもの成長は楽しくて充実した日々を送っています。

 

けれども、やっぱり人間、体力がね、持たないときもあります。

 

最近蒸し暑くて、体力の消耗が激しくて、夜になると、寝落ち・・・・・・

 

ほぼ毎日です。

 

 

 

インスタとかの広告で流れてくるサプリとか着圧レギンスとかクリックしたくなります。

 

なにかに、自分の体を助けてほしい!!

と切に思います。

 

 

 

 

自分の機嫌は自分でとるのが一番!!!

 

 

買い物に行ったら、ミルクティーが飲みたくなったけど、カフェインレスの紅茶ってあんまりミルクティーになっていないんですよね。

 

家に帰って、お湯沸かして、カフェインレスの紅茶作って、牛乳入れて作りました。

 

 

すごく久々に紅茶飲んだら、すごくおいしかった!!!!

 

 

甘いものってどうしても食べたくなるし、我慢ってできればいいけど、できないときもあるから、無理に我慢するよりは、自分が許せる範囲で食べてもいいような気がする。

それで、やせないのは自分のせいだから。

 

 

 

私もそこまで、ダイエットという感じでやっているわけでもなく、一人目の時に甘いものが食べすぎて、産後の体重が戻りませんでした。

 

体重よりも、体型が戻らな過ぎて本当に切なかった。

 

結局、体重って、健康診断と人間ドッグと自分しか知らないわけです。

 

 

 

体型は自分以外のみんなからみられているわけで、見た目痩せていればいいやって思うようになり、筋トレとか、有酸素運動をするようにしています。

 

 

なかなか痩せないけど、ちょっとずつ痩せて生きているから良しとしよう!!

 

 

そうやって今日も自分を甘やかしながら、のらりくらりと生きていくわけです。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

思い出のアイス 栗最中アイス

今週のお題「私の好きなアイス」

 

こんにちは。

梅雨前線が元気でたまらないのに、寝苦しい日々が続きますね。

 

真夏になったらどうなるのかしら・・・・・

 

 

 

私の小さい頃の話をします。

 

皆さんの一番小さい時の記憶って何歳くらいですか?

 

私は3歳が一番古いと思います。

 

私は両親との思い出があんまりないんです。

 

共働きで、土日仕事の両親だったため、たまに遠出をすることはあっても、日々の思い出は、ほとんどがおばあちゃんとおじいちゃんとの思い出ばかりです。

 

両親が私に愛情がなかったとは全く思っていません。

 

お父さん方のおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしていました。

 

もう二人とも5年くらい前に亡くなってしまいました。

 

 

3歳くらいの思い出は、正しいのかわかりません。でも、私にとっては大切なものです。

 

今でいう未満児だったのですが、当時は保育園に入るということがなく、私はおじいちゃんとおばあちゃんと毎日過ごしていました。

 

朝出かけてしまうと、砂場遊びをしたり、お散歩に連れて行ってもらったり、たぶん1日2回はお散歩に行っていたと思います。

 

乳母車にのって、おばあちゃんが歌を歌ってくれて、今でも口ずさむことができます。

 

近所の人にあいさつして、毎日おんなじコースを散歩していたと思います。

田舎なので、車もほとんど通らないようなところで、お店も1キロ先に小さなスーパーがあるようなところです。

 

でも、当時家から歩いて500メートルもしないところに小さな小さな駄菓子屋さんがありました。

私は駄菓子屋さんと思っていますが、なんでも屋さんだったのかも。

ほうきとかも売ってた気がする。

 

散歩コースの最後にそこによって、真夏の暑い日におばあちゃんが、栗最中のアイスを買ってくれました。

 

丸くて、バニラクリームで、中に栗のペーストみたいなクリームが入っていて、とにかくおいしくて、今でも覚えています。

その栗最中アイスが大好きで、本当によく食べたんだと思います。

3歳にして、100円超えのアイス食べるって、今親になって、娘には絶対にあげませんが・・・・

 

おばあちゃんと、おじいちゃんと半分こして食べて、

「暑いねー」

って言いながら、縁側に座って。

 

しかも、お昼の前にね。

 

お昼の鐘が鳴って、

「あ、おひるだー。」

って言って、お昼を食べました。

 

お昼の前に甘いものなんて、ご飯食べられなくなるじゃない!!!って言っている本人は、アイス食べていました。

 

娘にも、もうアイスあげてもいいかな、ってたまに思う時があります。

 

でも、虫歯とか、世間体とか気にして結局あげていないという・・・・

 

自分がうれしかったことをして、何が悪いって、言いたいけれども、旦那さんの両親と一緒に暮らしている手前、私があげると、あの人たちもあげるとか言い出されたら困るから、我慢しています。

 

私の母親は寛大なのか、放任主義なのかわかりませんが、とにかくそのおかげで、私は小さいことは楽しい記憶しかありません。

 

 

 

生後3カ月の時からずっとおばあちゃんとおじいちゃんに遊んでもらって、年小さんになるまで、うちにいたんですが、今、自分で子育てすると本当に大変。

おばあちゃんとおじいちゃんってすごいな、と思いました。

 

今は、保育園に行くことがそんなに珍しいことでないくらいだから、預けて働きやすいけども。

 

私も育休中で、娘は一度保育園に入れて、働いていたのですが、同居の義理の両親の目が気になって気になって仕方がない生活をしていました。

 

働くことがなぜか悪いことのような気がして、娘に申し訳ないなぁ、とおもってずっと働いていました。

 

当時は、もっとそんな感じだっただろうに、おじいちゃんやおばあちゃんにも、一生懸命働いていたお母さんにも感謝しなきゃいけないなーと思いました。

 

 

 

 

 

私が、小学校に上がる前に、栗最中アイスが売っていた、お店は店主のおばあちゃんが亡くなり、閉店となり、今は何も残っていません。

 

 

それ以来、あの栗最中アイスを見たことがありません。

 

20歳のころ、一度だけ、スーパーで似たようなのがあって、食べてみたのですが、味が違いました。

 

アイスなんてどれもおんなじ味じゃない?

なんて思うかもしれませんが、違うんです。

 

 

特に、中の栗のペーストに近いクリームが違うんです。

 

アイスそのものが栗味じゃないんです。

 

 

そこが大きなポイントで、ずっと覚えています。

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんともう一度食べたかった。

 

 

それから、数年後おばあちゃんも、おじいちゃんと続けて亡くなりました。

 

 

もうどこのメーカーとかも何もわからないから、食べることができないのかもしれませんが、私にとっては、宝物の思い出です。

 

 

 

今でも、スーパーのアイス売り場に行くと、あの栗最中アイスないかなぁーと探してしまいます。

 

 

いつか、また出会えますように。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。