今年は秋があったのだろうかと思うくらい急に冬が来た気がします。
今週のお題「読書の秋」
私は読書がとても好きです。
いつから好きなのかと考えたのですが、たぶん物心ついたころから好きで、本を読んでいる時間が楽しかったのだと思っていました。
私には、3人のこどもがいて、0歳、2歳、4歳といますが、毎晩寝る前には本を読んであげるようにしています。
「もう一回!!」「もう一回!!」
読み終わるたびに2歳の子はおんなじ本を何度も読み、そして、喜んでいます。
わたしも小さいころそのような記憶が一番古いものにあります。
小さいころ母親が必ず寝る前に本を読んでくれました。わたしは4人兄弟の一番上で、いつも母親は小さい妹や弟の世話をしていて、かまってくれることはほとんどなかったように思います。布団に入り、母親が読んでくれる本は、決して、隣でわたしのためだけに読んでくれるものではないですし、自分がすきな本かどうかというと、そうでもなかったのですが、毎晩本を読んでいくれたということは覚えていて、それがうれしい楽しい記憶だったのだと思います。
なので、こどもたちにも本をできる限り毎晩読んであげたいと思っています。
わたしは、小学校にあがると、ますます本を読むようになりました。
小学校は正直いい思い出がありません。なのに、記憶としてたくさんのことが思い出されます。
小学校低学年の時にはわたしはクラスの女子からいじめられていて、クラスで話し合いをするレベルまでになっていました。
その話し合いがどうとかこうとかはあまり覚えていません。
話し合いをしても友達ができたかというと結局何もかわらなかったように感じます。
小学校の3年生にあがると、同じ階に図書館があったので、私はよく休み時間や昼休みの短時間ですら図書館に行くようになりました。
図書館の先生も変わり、私は図書館の先生が大好きでした。
たくさん話をしたように思います。そして、たくさん本を紹介してもらいました。
今でも覚えているは、
「不思議な木の実の料理法」
という本があった気がします。
「わかったさん」「こまったさん」シリーズもたくさん読んだ気がします。
料理の本もたくさん読んで、レシピをノートに書き写したりもしました。
放課後は遊ぶ友達もいなかったので、まっすぐうちに帰ってきて、本を読んで過ごしたり、祖父母とお話をして過ごした記憶があります。
ゲームで遊ぶこともなかったし、買い物にも連れて行ってもらった記憶があまりありません。
小学校の図書館は私にとって、情報の宝庫であり、ともだちであり、たくさんの話し相手だったと思います。
先生が変わってしまって、6年生になったときには、また図書館があまり好きではなくなってしまったように思います。
中学生になると、あんなに好きだった読書をほとんどすることがなくなり、なにをしていたのか記憶にありません。ただ、ただ、学校が楽しくなくて、通うのがつらかったその思い出になってしまいました。
図書館が大好きだったのは、小学生の時だけのように思います。
むしろ、小学生の時には楽しかったことは図書館の記憶しかありません。
社会人になった今も、たくさんの本を読みます。
しかし、小説やものがたりの本はめっぽう読まなくなり、ビジネス書や専門書が多くて、「知識をつけるもの」という位置づけになってしまっています。
ただ、無性に「知識」を欲するときがあって、本が読みたい、なにか、自分の中に新しい情報を入れたいと思うことがあります。
そんな時は、インターネットのニュースやサイトではなく、「本」がいいのです。
「本」からしか受け取ることができない、「何か」を欲して無性に本が読みたくなります。
インターネットの普及で検索すれば、いくらでも最新の情報が出てきて、むしろ、本は最新の情報とはいいがたいくらいの、ネットのまとめくらいの位置づけにすらなってきてしまっているのに、それでも、私は「本」を買って知識を身に着けることに執着してしまうことが多々あります。
シンプルな部屋やすっきり片づける部屋がはやっている時代に、本棚からこぼれ落ちるくらいたくさんの本を買い込み、読み漁るその生活スタイルがやめられないのです。
たまに読み返したりするし、内容をほぼ覚えている本もあるし、元気が出ないときに読む本もあります。